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学習塾創進
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東松島市

学習と記憶から敷衍(ふえん)して
ーなぜ人は学ぶのか?ー
上に「宿題」や「復習」の話をしました。「忘れないうちに復習するのが大事」ということは、皆さん自身、言われなくても百も承知ですね。ですが、考えてみてください。皆さんは塾だけで勉強しているわけではありません。学校では一日に数時間、一週間で数十時間の授業を受けているのです。上に述べたように、繰り返して学習したこと確認する場は家庭だけである必要はありません。当塾では学校よりも少しだけ先に進むようにしています。近々には学校でも同じ単元を学習するはずです。塾で扱った内容をもう一度学ぶつもりで学校の授業を受けてみてください。逆の場合もあるでしょう。学校での時間をおろそかにしないでください。
確かに人間は忘却します。「エビングハウスの忘却曲線」というものがあります。業界でもしばしば引用され、そのグラフは一見皆さんの不安をあおるかように記憶量が落ちていくことを示しています。24時間でおよそ70%の記憶が失われるーとデータは示しています。が、そのデータを数字を見てそれで終りで本当に良いのででしょうか?私はそう思いません。大学で10年以上教育学を学び、曲がりなりにも研究者の端くれだった人間から見れば忘却曲線の本質を分析できていない人間が安易にグラフだけを引用するのは非常に危険なことにさえ思っています。実際、エビングハウスの忘却曲線についてはさまざまな追跡研究がなされています。せめてそれらを一通り把握してからこうしたデータや数字について語っている人がどれだけいるのでしょうか。
「忘却」と一言でいっても、人間の記憶は毎日まっさらになるわけではありません。「そうだった!」と思い出すことっていくらでもありませんか?今日しなくてはならなかったことがあったのは覚えていても、「何しないといけないんだったけ?」なんて私にはよくあります(笑)。暦を見て「あ~」です。つまり、あの短期記憶の忘却曲線は、インプットしたけれど直後にはアウトプットできなってしまっている記憶の情報量を示しています。その中には、「消えた」のではなくて、引き出せないものがたくさん入っています。だとすると、仮に、アウトプットできないだけで、もし記憶に90%のデータが残っていたらー。そこがポイントです。
入学式の日、初めて会っうクラスメートがたくさんいる教室で、彼らの名前を一度で覚えられましたか?逆に、その日のうちに復習しなければ、次の日、教室の人たちがみな初めて会ったような人ばかりに見えましたか?誰かに教えてもらって「ああ、〇〇さんって名前だった」って思い出すことはありませんでしたか?人間は記憶してすぐにはアウトプットできないことがたくさんあります。しかし、記憶のデータが残っているから、「そうだった!」と思うのです。そして、それを何度か繰り返すことでアウトプットが円滑になるのです。それが長期記憶です。私は授業中しばしば「忘れるために覚える」と言うのですが、この一見矛盾した論理は、記憶の長期化において何らおかしいことではないのです。
忘却曲線のデータや数値が間違っていると指摘したいのではありません。記録しているものを取り出せないのと、記憶そのものがないのは全く別だということです。忘却曲線は、脳の性質やその時した記憶の方法を踏まえて、あくまで表面上はじき出されるデータや数字として読み取らなければなりません。もちろん、復習が早い段階で行われればその方が良いことは言うまでもありません。
しかし、その人の記憶の方法、例えば、イメージで記憶するとか、何かと関連づけて覚えるとか、そうした個々の様式によって忘却の度合いは変わってきます。創進でも様々な方法を駆使して記憶を残しやすい、そして、アウトプットしやすい方法で記憶できるように支援しています。本やネットにあるようなありふれたものから、あまり語られていないものまでさまざまな思考錯誤を今も繰り返しています。私自身まだ学びの最中であり、より良い方法、あるいは本質に迫れるように日々し続けています。おそらくは、生涯、答えにはたどり着くことはないでしょう。しかし、少なくともデータやグラフの数字だけをかざして、したり顔でものを語ることのないように、ましてやそれらをあたかも科学的根拠であるかのように提示して不安をあおることのないように学び続けているのです。
現在は情報化の時代です。データや数字だけならいくらでもあふれています。問題はデータや数字をかざすことではなく、その数字が示す意味や本質を紐解くことです。その答えの多くはひとつに限定されません。つまり、最後は皆さん自身が考えなければならりません。数学であれ、社会であれ、総合的な知を使ってより本質に近づくこと、そこには答えがないから私たちは学び続けなければならないのです。数字に踊らされないように。データで不安をあおられないように。なぜ人間は勉学をするのかーその問いへの答えのひとつがここに転がっているのかもしれません。
もうすこし補足するなら、数字やデータは事実ですが、真実ではありません。例えとして適当か分かりませんが、「私はりんごが嫌いです」と言ったとき、「りんごが嫌い」という言葉を発したことは「事実」ですが、本当に好きか嫌いかの「真実」は分かりません。皆さんの周りの世界すべてが同じです。データの数字がどうしてそういう事実に至ったのかの根拠が見抜けなければ物の本質ーつまり、真実―には到底到達できません。人間はもっと複雑です。数学も社会も「りんごが嫌い」が本当か知るのに役に立つかもしれませんよ(笑)。数学は順序だてて物を考える学問で、論理学としての側面をもちます。算数の1+1=2ならば、「りんごが嫌いです」=「りんごが嫌いなのですね」で終わりです(笑)。しかし、数学はそうではありません。なぜ嫌いなのか、順序だてて考察し、嫌いな理由を突き止められれば、実は、ある調理や条件を整えれば「りんごが好き」になるかもしれないということまで到達できるかもしれませんよ。歴史は人類の史実をたどること。史実だけの勉強だといささかつまらないけれど、そこに「なぜ」をもってくるとワクワクします。「光秀は信長を自害に追い込んだ」のは史実ですが、その時の真相は謎です。「嫌いだった」かどうかまでは別としても、人間関係には興味がある人もいるでしょう。歴史が好きな人によくありますが、「事実」を越えて「真実」に至るべく想像をめぐらせるんですね。もちろん答えは誰も分かりません。それでも、自分なりに史実を集め、順序立てて推察・推論するわけです。それが学ぶの中から構築される「論考」の様式です。もちろん、創進の授業でもこんな話をすることはなかなかありません。残念ながら、歴史の「事実」をせめて何らかのスキルを駆使しながら覚えやすくする、というまでが時間的限界です。ですが、たまに「心理学は人の心理が分かるような学問ではない。心理学とは実際には…」とか、「実は現代日本の学校のモデルはアメリカにあるけれど、そのアメリカのある州では歴史を猿人から教えるかは近年まで論争があった。なぜなら…」なんて話をすると興味深々の生徒もいますがね。
こんなことを書いている私は経営者には向いていないのでしょう。事実、創進が大規模な学習塾になったことはないですし、今後もなることはないでしょう。データと数字で説得力を付け、1+1=2のように、「こうすれば大丈夫!」と単純明快にキャッチフレーズ化できる人が優れた経営者なのかもしれません。それでも自分が学んできたものがあるから、そうはできない。自分の足で登って実際に見てきた山の景色があるから、登ったことのない人たちが「こういう風景らしい」とか「こういう景色だと聞いた」という二番煎じ、三番煎じ風の話に「そうですね」とは言えないのです。
話を記憶のことに戻しましょう。忘れていた結果、「そうだった!」となるのは、それまでうまく取り出せなかったものをアウトプットできた瞬間だということです。これは記憶がまっさらになってはいなかったといことを意味します。その状態にまで至れば、学校の授業に十分楽しく臨めるはずです。
そして、学校の先生は教育のプロです。「塾だけ」よりも、学校と塾が相乗効果になる方が、何より皆さんにとってずっと効率が良いはずです。学校の先生の授業を利用しないなんてもったいない。それに、学校と塾で板挟みになったとして、いちばん困るのは誰でしょう?皆さんですよね。
創進は責任をもって指導します。皆さんの成績を上げる自信もあります。多くの優秀な卒業生を送り出してきた実績があることも自負しています。しかし、「塾の勉強さえすれば〇〇!」「▢▢はダメな例」等々の狭隘(きょうあい)な考えは持っていません。そもそも問題の解き方や考え方がひとつでないように、人には人の数だけ答えややり方があります。例えば記憶の様式ひとつをとってもそれが多岐にわたることは既に述べた通りです。
知らなければ楽なこともあります。それしか知らなければ、「これだ」簡単に答えを断定できるからです。しかし、学ぶと「必ずしもそれだけとは言えない」「~の可能性もある」になります。迷いが生じます。しかし、その悩みがあるということこそ「人生の選択が豊か」であるということではないでしょうか。迷いが生じるのは成長しているからです。色々なことを知るからです。踏み込んで考えるようになるからです。皆さんの中で迷い、悩む人がいるならば、私はその姿勢を支持します。
塾というものは、現在、そして、未来のより良い「学校生活」を送るための補助機関、いわば黒子(くろこ)のようなものであると考えています。主役は学校であり家庭です。創進は、皆さんの学校生活を陰から支援する塾でありたいと思っています。皆さんは塾の生徒である前に、中学校の生徒であり家族の一員であることを忘れずにいてください。そして、学校の先生やご家族の力添えに感謝できる、そうした誠実な心をもった人と共に頑張りたい、創進はそう強く願っています。