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 ふいに思い立ってこのホームページを作り始めて2日が過ぎた。

 素人が初めて手を付けるものだから、当然勝手が違う。遅々と進めながら何となく形だけは見えてきた。疲れてきたのか、大概飽きてきたのか、「FAQ」の文が無駄に長くなってしまった。途中まで書いて、これは違うなと思い、急遽このページを設けることにした。階層化を試してみて、こうするのかと今しがた納得したところだ。階層化を試みつつ、こういう文はあまり目立たないところに置いておきたというと自身の気持ちが透けて見えることを自嘲している。それでも書きかけの内容に手を加えてここに残しておこうと思う。別段セールストークも何もないので、興味のない方は必要項目へ戻られたい。

 何年か前のことだ。「『天』は一画目と二画目どちらを長く書くんだろう?」と、ふとつぶやく塾生がいた。受験も佳境に差し掛かった頃だ。時期も時期だけに、あいにくあまり長く取り合う時間はない。文化庁の見解は「(どちらでも)字体の判別の上で問題にならない」。漢検などではどちらもOKということだ。その旨だけ伝えて授業はいつもの流れに戻った。もう少し余裕のある時期だったらと思う。

 答えがそうであったように、これでは「はあ」という何とも味気ない反応しか返ってこなかった。学びがつまらないと感じるのは、決まってこんな着地をするときだ。サイトを立ち上げた記録ということにでもして、その話をもう少し敷衍させて書いておこう。

 「天」字の起こりは、古代中国の殷代の甲骨文字にさかのぼる。殷代、王朝の重要事項は卜占(ぼくせん)、つまり占いで決められた。卜占には亀甲の他に、動物の肩甲骨が用いられたようである。私には亀甲に刻まれたそれのイメージが強いので、ここでは亀甲に限って話をする。

 占いの方法はこうだ。亀甲に小さな穴を開けられ、そこに赤熱に加熱された棒状の金属器が差し込まれる。時代的に推察するに青銅器だったかもしれない。熱せられた棒を突きこまれた亀甲は加熱されてひび割れていく。そのひび割れ目の形で占いの結果が出るというわけだ。そのあとで何を占ったのか、その結果がどう出たのかが亀甲に記された。そのとき用いられたのが甲骨文字である。

 王は、たかが亀甲のひび割れで政治を動かすのだ。卜占に政治を委ねるとはいかにも古代人らしいと思う方もいるだろう。侮るなかれ、古代から人は得てしてしたたかな一面があったことに驚愕するかもしれない。王の腹のうちは、政治の舵をどこに切りたいのかを既に決めている。その上で結果を見守るのだ。では、卜占の結果が王の意に添わなかったらどうするのか。心配することはない。亀甲の裏側には仕掛けが施されているのだ。望むようにひびが描かれるよう、道筋は既に細工されている。卜占の任に当った者が「おお、これは!」などと白々しい声を挙げたかはどうかは分からない。うまくいったひびの割れ目を見て、揚々とこの文字を刻んだのだろうか。それとも王の前で冷や汗をかきながら結果を見守り、安堵の中、冷たく汗を感じながら刻んだのだろうか。

 見ればなるほどと思う人もいるだろう。「天」字は人が両手を広げている形だ。つまり一画目は頭で、もともとは「」で書く。頭が両手より広いのはおかしい。つまり、もともと「天」字は一画目が短かったのだ。今、自分が打ち込んでいるフォントを見ると、一画目が長い。打ち込むたびに何とも滑稽な「天」に見えてくる。「」は印でもあったという。つまり、頭の方が「空」、つまり「『天』の方向」という意味だ。例えば、「上」は」や「二」だし、下はその逆だ。頭がある方が「空(そら)」なので、「空」の方向を示すためにできた指示文字が「天」である。人名で「天(そら)」という読みは、実際、人名として慣習的に使われている。「名のり」とか「人名訓」と呼ばれるものだ。

 先述のとおり、「天」字は一般的には指示文字に分類されるが、もともとは人の形だったことを加味すれば象形文字的な要素もあながち否定できない。そもそも誰かがそう言ったからそう分類するというのもおかしな話だ。受け売りというのはまさにこのことだろう。受け売りは脆い。根底から理解していないから説得力も弱い。原点に返って根底から考えることは基本中の基本だ。しかし、ネット社会では情報があふれすぎている。情報過多で一つひとつを精査する暇がないとすれば、情報がふんだん過ぎるのも果たしてどうなのだろうと考えさせられる。

 窓外の天を見上げると雨が街灯の明かりの前を横切っているのが見える。暴風雨との注意報どおり、夜半を過ぎた今、風が次第に強くなってきた。「五風十雨」なんていうが、十日ごとの雨はともかく、五日に一回こんな風が吹かれてはたまらない。今宵はそんな風だ。

 「天気」は、そのまま言えば「天の気」だ。「気」は目に見えない力をものを差す。「気持ち」、「気力」、「気功」はどれも目に見えない。天気はどうなるか目に見えて分からないもの、どうやら気まぐれで予測のつかない対象として認識されていたようだ。現代は気象予報も発達したとはいえ、「女心と秋の空」とはよく言ったものだ―などと言うと、女性に失礼だと批判されるかもしれない。が、この言葉、室町から江戸期にできたことわざで、もとは「男心と秋の空」である。かの小林一茶は自身のことをこう詠んだ。「はづかしや おれが心と 秋の空」。いかにも一茶らしい諧謔に富んだ句だといつも思わされる。

 単純に、移ろいやすかったのは男の方だ―とも言えるが、世相を見ればそう軽々しい問題だけではない。このことわざの陰には、江戸時代の男尊女卑社会が見え隠れする。つまり、男性には奔放が許されても女性にはそうはいかなかったということだ。

 「女心とー」と言われるようになったのは明治以降の話である。そもそも一夫一婦制は西洋から流入したキリスト教的観念によるものであり、この時期に形成された女性観が「女心とー」を生み出したとすれば、世相と言葉の変遷というのは興味深い。無神論や無宗教を唱える者の多い日本であっても、社会の根幹にキリスト教的観念が介在していること私たちは存外意識していない。一夫多妻など江戸期までのことで、キリスト教の影響ではないだろうと思う方もあろう。日本で一夫一婦制が民法に規定されたのはいつごろかご存じだろうか。明治31年、今からたかだか120年ほど前のことだ。それ以前の民法は一夫一婦制を否定していない。

 日本で最初にウエディングドレスをまとって結婚式を挙げたとされるのが、日本の文部大臣森有礼の妻ツネであるとされる。森は福澤諭吉と並んで明治の日本で早期から一夫一婦制を唱えた人物である。森はキリスト教に深い関心を示したことが知られており、一夫一婦制との整合性が見られるが、福沢は長く反キリスト者とみなされてきた。ここにはキリスト教者として知られる内村鑑三が福沢を「宗教の大敵」と呼んだという言質が大きくかかわっていたと言える。しかし、昨今の研究で反キリスト者としての福澤像は覆されつつある。明治日本に受け入れられた一夫一婦制とキリスト教的観念がますます整合性をもって結び付けられているということだ。ちなみに、大学時代の恩師のひとりが森有礼研究の第一人者であった。師は森が導入した米国公教育制度を紐解いていた私に、「第三者的視点に立てる日本人でなければできないことがある」とよく励ましてくれた。師の言葉がなければ、あの頃、拙稿をどれだけ残せただろうかと今になって思う。

 さて、話を戻そう。「気」の旧字は「氣」と書く。部首は「きがまえ」。この「きがまえ」、米を炊いたときの湯気の形だった。よくよく見れば、上の三本の横画は湯気のようにも見えなくはない。実際、殷代から周代にかけての甲骨文字から金文では、「気」は「三」、あるいは、「~」を3本横に重ねて書けばよい。「気」は目に見えぬ力と書いたが、目に見える湯気は「水滴」だ。雲も目に見える部分は「水滴」あるいは氷である。理科に即して言えば、「雲粒」の集まりということになるだろか。一方、目に見えないのが水蒸気だ。やかんの湯気を見ると、湯気は注ぎ口から幾分離れたところから出ていることが分かる。その目に見えない部分が水蒸気で、白く見えるのが水滴だ。それが蒸発してその名の通り水蒸気になるから見えなくなるわけです。もう一度戻って、ご飯が炊けたようすの「氣」。ご飯は英語でrice。でも日本人にはliceの方が発音しやすい。liceはlouseの複数形。louseは「のみ」とか「しらみ」。でも、私もliceの方が発音しやすいです(笑)。でも、頑張ってriceも発音してみましょう。大分余計なことを書き過ぎたのであとで編集し直そうかと(笑)。言いたいことは、学力や知識は教科の縦割りではなく、有機的に身に付けるものだということです。

有機的に学ぶということ

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